お葬式って誰のため?──50代の私が感じる“死後のセレモニー”の意味

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50代だからこそ向き合う“死生観”──形より心。私が考える、自然体なお葬式のかたち

50代になると、子育てや仕事が落ち着く一方で、親の介護や老後の準備といった「これから」に直結するテーマが増えてきます。

占いを学ぶ中で、
「死は終わりではなく大きな節目」という感覚が育ってきたようにも思います。


今回、夫との会話を通じて、「死後のセレモニー」の意味に向き合いました。
この記事では、私自身の考えとあわせて、社会の変化や調査結果も紹介しながら「お葬式のあり方」について整理してみます。


夫の希望から考えた「お葬式のあり方」

ある日、夫が笑いながらも真剣な調子で言いました。

「俺の葬式は派手にやってほしい」

私は心の中で「え?」と戸惑いました。
なぜ派手さを望むのか、理解できなかったからです。しかも子どもたちにも同じことを伝えているようで、本気なのだとわかりました。


私の考えるお葬式──残された人のためのセレモニー

私にとって葬式は、亡くなった人のためというより、残された人のためのセレモニーです。

亡くなった人の魂はもう別の場所へ行っている──そんな感覚を昔から持っています。
だから、葬儀の規模や豪華さで「送り方の価値」が決まるとは思いません。

もちろん、残された家族が手間をかけることで気持ちを整理できるなら大きくやってもいい。
でも自分のときは、できるだけ負担の少ない形で自然体に送ってもらえたら十分だと考えています。


データで見る葬儀の現状:家族葬・直葬が増加中

日本消費者協会の最新調査(2024年)によると、葬儀形式の割合は以下のとおりです。

  • 家族葬:62%
  • 一般葬:24%
  • 直葬:14%

また、「形式よりも気持ちを重視する」人は全体の54%に上り、「費用をかけても納得できる形で送りたい」人も43%います。

つまり、多くの人が小規模化の流れを感じながらも、「納得できる形で送りたい」という想いは根強いということです。


50代で必要になる「葬式の話し合い」──家族で共有すべきこと

50代になると、お金の管理や相続の準備のような事務的なことと同じように、「死の捉え方や送り方」について話しておくことも大切だと感じます。

残された人が迷うのは、実は「何をすればいいか」だけではありません。
亡くなった人の気持ちに応えたい、自分も納得できる送り方をしたい──その想いに揺れるからです。

夫婦や親子でも、死に対する感覚はまったく違います。
私と夫のように「派手にやってほしい」と「簡素でいい」がぶつかることもあるのです。


私の死生観:形より心を重視する理由

私自身の感覚では、死は“終わり”ではなく“移動”のようなもの。
輪廻転生を信じ切っているわけではないけれど、「魂は別の段階へ進む」というイメージがあります。

だからこそ、葬儀は残された人の心を整えるためのもの。
形や豪華さではなく、その場にある“送り出す心”がすべてだと思っています。
死を迎えた自分は、その形式や方法に拘る感覚は既にない。そう思っています。

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子供の頃に出会った本がきっかけで知ったアカシックレコード。信じるかどうかではなく“ありのまま”に受け止める私の感覚と、集合体のような魂のイメージを綴ります。

まとめ:葬式に正解はない、自然体で向き合うことが大切

葬式の正解は、人の数だけあります。
大切なのは、残された人が無理なく自然に送り出せること。
そのためには、形式や費用の話だけでなく、「死をどう捉えているか」という心の部分も、前もって共有しておくことが大切だと感じます。

これからも、子どもたちには折に触れて、自分の感じ方を伝えていこうと思います。
──死はいつか必ず訪れる自然なこと。だからこそ、怖がらず、自然体で向き合いたいのです。


参考: 日本消費者協会「葬儀についてのアンケート調査」(2024年)
https://www.jccu.coop/info/report/2024/funeral-survey.html

※本記事は筆者の個人的な考えをもとにした内容です。特定の宗教や団体への勧誘意図はありません。

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